トルコ語翻訳家のイスタンブル暮らし
トルコ・イスタンブール生活22年目、反抗期真っ盛り上の娘、生まれてからずっと反抗期の下の娘をかかえる働く母の日々の出来事や感じたことを綴ります。
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トルコ生活22年目の二人子持ちの翻訳家・通訳の日常生活と旅行の記録です。トルコ民家研究がライフワークです。



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冬休み旅行4ラオディキア&デニズリ
laodikya8

旅の最終日はパムッカレ近くの別の遺跡、
ラウディキアとデニズリのまち見物です。

荷物があるからホテルに置いて出かけます。
昨日の経験でミニバスの経路もわかっています。
同じデニズリ行に乗って、途中下車です。

朝ミニバスを待っていたら、学生らしい韓国人が来ました。
ここで待ってればデニズリにカメラを直しに行くとか。
それがソニーのサイバーショットですよ。
韓国人なのにサムスン使ってなくて、
ソニー使ってくれてるってのがちょっと感動しました。
でも壊れてるってのが残念!

laodikya1

さて、韓国人には終点まで行くように指示して、
我々は20分くらい乗ったところで途中下車。
そこから10分くらいは歩きますね、ラウディキアまでは。
動物病院のところをまっすぐ入って行くだけの道ですけど。


こちらの遺跡も、だれもいません。
アフロディスィアスも人少ないな〜と思いましたが、
ここはほんとに誰もいません。
風がビュービュー吹いています。

ラオディキア紀元前1世紀に繁栄した、
クチュック・メンデレス川の南につくられた都市でした。
ラオディキアの名は、
紀元前3世紀セレウコス朝の皇帝アンティオコス2世の后、
ラオディケの名をとったということです。
しかし紀元後1世紀に起こった地震で崩壊してしまったとか。
黒いヤギの毛を使った織物で富を築いたというので、
その織物の伝統は今でもデニズリのまちに受け継がれているんですね。

laodikya2
こちらがかつてこの古代都市の目抜き通りだった大通りへのゲート。

laodikya10

柱の台座がズラッと並べられています。

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神殿の跡。

laodikya7
こちらはなんだったかしら???
忘れましたがきれいな柱ですね!

laodikya4
地中海世界の遺跡にはつきもの、アカンサスの葉のモチーフです。
イスタンブルのアヤソフィアなどにも多用されていますね。

さて、一旦パムッカレのホテルに戻って出直しです。
もう一度デニズリに出発。
オトガルもこれで二度目ですね。
オトガルからタクシーで空港シャトルバスのbay-tur社へ。
そこで荷物を預けて、デニズリのまちに出陣です。

ラオディキアの産物でも触れましたが、
デニズリはトルコ有数の繊維の街としても有名です。
人口は100万人に近づいていて、立派な大都市です。
前回紹介したブルダンの布も、
ローマ時代から重要な輸出品だったそうです。

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こちらがデニズリの目抜き通り。
Gazi Mustafa Kemal Caddesiです。
アタテュルクの影が年々薄れていくこの昨今、なんか安心する名前の通りですね。。。

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あっ、ここにもアイスクリーム入りヘルヴァ屋が!
このHacı Şerifというお菓子屋さんは、デニズリが本店のようですね。

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洋館もどきの建物が。
日本にも明治時代に折衷様式の洋館もどき住宅が流行りましたね。
そんな風情です。

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こちらは伝統的な住宅。Bay-Turの近くにありました。

昔テレビのグルメ番組で見た、タンドリーケバブ屋さん、
Kocabayを目指します。
fırın kebabıと呼ばれるものなり。

人にききながらケバブ屋が並ぶ通りにたどり着きました。

denizli4
ありました!

いかにも頑固な老舗っぽい佇まい!

denizli7

中もあまり広くないので、食べたらさっさと帰るという感じです。

denizli6

こんな風なカマで羊のお肉を焼いています。

私と友人の上の子供達はヤダ〜とか言っています。(ぶん殴る!)
店の人が、
「ここはダンドゥルしかないよ!他のがいいなら向かいに行きな!」
そう、ここにはこの一種類しかないんです。

上の子達を向かいのドネル屋に追いやり、
私たちは油がジュ〜っと染み出たお肉を
lavaş(うすーいパン)でいただきます。

denizli5
お口の中に肉汁がじゅわっと広がっておいしい〜

子供達はなんでこんなにおいしいものが嫌なのかしら???

下の子供達はおいしそうに食べています。
これで一皿20TLくらいでしたか。

たらふくお肉を食べたら市場の見物です。

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広場にはもう一件の老舗、Enverが。
行列ができています。
近くにEnver Paşa Caddesiという通りがあるので、
ここは何かエンヴェル・パシャゆかりの土地なんでしょか。

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こちらが広場です。
たいへんな賑わいです。

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広場の向こう側は旧市街の市場です。
路地が店舗化しているピデ屋さんがありました。
こういうとこがおいしいんですよね!

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次なる目的地はアタテュルク博物館。
アタテュルクが泊まったことがある家は、
アタテュルク博物館となって、
アタテュルクが使った品や、その地方の人が寄付した
古い家財道具などが展示されています。
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アタテュルクが泊まったというお部屋。

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隣には歴史的ハマムがありました。

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偶然発見したBabadağ Çarşısı
昔誰かにきいて気になっていたけど、
この時まで忘れてました!

近くのババダーという山の名をとったこのビルは、
丸ごと一件繊維の売り場 何です。

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デニズリ名物の雄鶏マークがついたタオル!
思わず購入してしまいました。

疲れたのでどっかでお茶を飲みたくなりましたが、
旧市街には腰を下ろすところがない。。。
探し回ってやっと見つけたのが、
灯台下暗しで、さっきのエンベル・ケバブ屋の裏でした。。。

denizli16
いまどきチャイが1杯75クルシュ!!!

さて、町歩きをしていて気づいたのは、
トナカイの模様のニットジャケット着用の人が多いこと。

denizli18
ここにも、あそこにも、
次々発見です。
ちなみに、Bay-Turに戻るためにもう一度Gazi Mustafa Atatürk通りを戻ってくると、
途中の広場にデニズリ名物雄鶏の像があって、
待ち合わせポイントになっています。

娘いわく、LC Waikikiというお安いブランドで
トナカイ柄ニットを大々的に売っているとか。
とにかくデニズリ男子の3割ぐらいは着用している
と言えるほどの勢いです。

デニズリのまちも堪能して、
今回の旅も終わり。
Bay-Turのチャトルバスで空港へ向かいます。

デニズリにはまだまだ見所がいっぱい。
機会があったらまた訪れたいです。

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冬休み旅行3 布のまち、ブルダン

buldan27

旅の三日目は、一度デニズリに出てから
別のミニバスに乗り換えてブルダンへ行きます。
大昔、雑誌の取材でも来たことがありますが、
今はどうなっているのかな。

ホテルの裏を下がって行った通りに、
デニズリ行きのミニバスが通っっているといいます。
15分に一本あるといいますが、いつくるのかな。

minibus

朝もやの中にミニバスが姿を表しました!
デニズリのオトガルまで4tl。
そこからbuldan koopのミニバスに乗り換えです。
ブルダンまでは7tl。
小一時間ほど、ぶどうばたけの道を北上します。

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ブルダンのオトガルはなつかし〜い感じがします。
buldan otogar

余談ですけど、私が翻訳したオルハン・パムックの小説、
「新しい人生」に登場する、80年代 の地方のオトガルのようです。

ワタシのライフワーク、トルコ民家が残っているということですが、
場所がわからない。
そういうときは、とりあえず自治体へ行きます。

buldan3
役場にはありましたよ、資料が。
きちんと古い民家をインベントリー化する作業もできています。
お茶もごちそうになって、
町長さんとも写真撮って、
子供たちの社会科勉強。
おまけに、一人案内役もつけてくれました。

彼が残っている民家をくまなく案内してくれました。

buldan7
布のまちらしく、ここが「織物市場大通り」

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ここは町役場が購入して修復したという一件。
典型的なトルコ民家に見られる「ソファ」という空間。
ホールのような場所ですが、
多目的に使われます。
部屋が大家族の中での夫婦のプライベート空間なのにたいして、
ソファは公共空間です。

buldan5
こちらは町役場が運営する文化センターにある機織り機。
布はかつては機織り機で織られていましたが、
機械化が進み、廃れて行きました。
ところが近年、復活してきています。
カントリーな雰囲気が受けて、
今ではブルダンの布はトルコ各地にひろまって有名になりました。

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丘の上からのまちの眺め。丘の斜面にまちが広がっています。

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坂道だらけの風情のある通りには、
昔の民家が残っています。
上階が張り出しているのがトルコ民家の特徴ですが、
狭い坂道の路地ではそれが顕著です。
日当たりをよくするのと、昔は自由に外に出られなかった女性が
窓から路地を眺めるのにも適した構造です。

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せまい路地の住宅の角は、こんなふうに斜めに切られています。

buldan12
近くのローマ遺跡、トリポリス産の、縞模様の石。
トリポリスからの流用石材がところどころに見られます。

buldan14
これが役場の案内役の方が生まれた家なんだそうです。
庭に向かって開けた開放的ソファには、アーチ状の柱が並んでいます。

buldan14
これは町長さんが買ったと言う民家。
修復して観光施設にするとか。

buldan15
100年ほど経っているというこの家の部屋の天井装飾は、
イギリス人のデザイナーが手掛けたとか。
ちょっとトルコ民家のものとは違って、無機的な感じです。

buldan11
お部屋には「グスルハーネ」がしつらえてありました。
トルコ民家には押し入れの中に、このように簡易浴場が設けられています。
イスラム教では夫婦の営みの後には身体を清めなければならないので、
夜中に部屋を出なくてもいいように室内に浴室があります。

buldan15
右のまあるい煙突がこのまちの特徴なんだそうです。

buldan17
民家のうちの
evliyaoğlu konağı
は、カフェとショップになっています。

こちらは解放的ソファの例で、
裏庭に面しています。
この他民家のタイプには、
4角に部屋が配置され、ソファが真ん中にある、
中央ソファタイプというのもありますが、
ここブルダンにはない模様。

buldan19
トルココーヒーをいただきました。
カップの入れ物はAntepのものかな?

buldan18
お部屋にはかわいい手編みレースのカーテンが。

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下階は布のショップになっています。

buldan6
のどかなkahve。
カフヴェというのは、男性たちがたむろうカフェです。
昔、ここの隣のアイドゥン県で、昼間カフヴェの営業を禁じたという
ニュースをききましたが、本当でしょうか。
女性ばかり畑に出て、男性はカフヴェで昼間っから
たむろっているからとか。

案内の町役場の方が熱心に説明してくださるので、
すっかりお昼を食べそびれてしまいました。

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Ağam kebapで、遅いお昼です。
郷土料理はotlu pide。
その名の通り、野草がたっぷりのピデです。
ちょっぴりチーズが入っていて、
ほのかな塩味。
軽くていくらでも食べられそうです。

buldan24

役場の方とお別れして、
(ここで失礼、というと、とても残念そうにしてました。。。)
布屋さん通りでお買い物。

buldan25

昔きた時に布は大量買いして余っているので、
今回はタオルを買いました。

buldan26

さて、一度デニズリに戻って、温泉街のkarahayıtへ向かいます。

ついた頃にはもう暗くなってました。。。

karahayit1
まちのいりぐちには巨大な赤い塊が!
パムッカレと違ってこちらの温泉は鉄分が多いそうなんで、
石灰が赤くなっちゃうらしいですね。

自治体経営の足で浸かれる共同温泉があるときいてましたが、
なんと冬はやってない!

ガーン!

足だけでもつかりたかったのに、残念。

しょうがないから夕飯食べて帰りましょう。

商店街はひなびた温泉街の雰囲気。
どうしようもない土産や温泉宿で着るどうしようもない服とかも売ってます。
夏はきっと賑わっているんでしょうね。

karahayit3
なぜかエルズルム名物のジャーケバブの店が何件もあります。
そのうちの一件に入って聞いてみると、
やっぱりエルズルムの人がケバブ担当だそうです。

商店街においしそうなスイーツを発見。
karahayit4

イルミック(粗びきセモリナ)のヘルヴァの中にアイスクリームが入っています。
早速食してみます。
旅行中は血糖値はきにしない。。。

ミニバスでパムッカレに帰り、
夜になって半分くらい閉まっている商店街を通りました。
もう日本人は観光に来ないんですかね。
韓国語ばっかり。

karahayit5
しかし日本語発見!
これはもしかして、石灰棚を眺めながらとかいう
ブログを書いている方のお店かしら?
こんなとこで頑張ってらしたんですね〜

でももうご飯食べちゃったから、残念ながら入りませんでした。

それにしてもいくらオフシーズンろいっても
街全体、自治体があまり積極的に観光開発していない感じ。
パムッカレ・ワインの地元メーカーがあるので期待してきたのに、
パイロット店もなにもありませんでした。
オサレなワイン・バーでも作ってくれたらいいのに。

世界遺産なんだから、もっと自治体が音頭とって
商店街とかもりたてていってほしいですね。


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冬休み旅行⒉ ナズィッリ&アフロディスィアスへ!
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さて、旅行二日目は今回のメインイベントである
アフロディシアスに行きます!

私が立てた計画:
朝Nazilliに出発。
NazilliからArpaz村へ。
Arpaz・Beyler・Konagiとロドス島から連れてきたという
職人による、中世カトリック的な塔を見学。
Nazilliへ戻って木曜市場で地方の食品お買い物。
Afrodisias古代都市を見学。
帰途へつく。

これら公共機関で行こうとすると、ちと無理があることが判明しました。
当初はデニズリからナズィッリまで電車で行って、あとは路線バスで、
と、思っていましたが、そのミニバスが1時間に1本しかない。
アフロディシアスなんて、ミニバス乗り継ぎです。
日がくれるまでに回れなさそうなので、
あきらめて、空港バスの会社から専用バスをチャーターしました。

朝ホテル迎えに来てもらって、いざ出発!
朝もやというか、ものすごい霧ですけど、大丈夫でしょか。
運転手さんは慣れた様子。

まずはArpaz村へ直行です。
Nazilliから30分くらいで着くはず。
この村は今はEsen Köy と呼ばれています。
アルパズというのは、オスマン時代、
この一帯に勢力を伸ばしていた一族の名前です。
ファーティフ・スルタン・メフメットの宰相だった、
ゲディック・アフメット・パシャが先祖とも言われ、
彼の息子がベヤズィット二世にスィパーヒー(在郷騎士)
としてこのメンデレス川周辺に任命されてきたのが
この一族の始まりらしいです。
18世紀にスルタンの怒りに触れた一族のハジ・ハサン・ベイが
ロドス島に流刑になり、
ほとぼりが冷めて帰ってくる時に
建築職人を連れて帰り、
作らせたのがこの城塞なのだそうです。

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トルコっぽくない、中世のラテン世界のような建築ですね。
ロドス島の騎士団の城塞にも、こんな丸い塔がついています。

そのお隣の邸宅。

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Arpaz Beyler・Konagi と呼ばれています。
Beylerというのは、その土地の地主や名士です。
残念ながら中には入れませんでしたが、
天井の装飾などからしても、
かなり立派で広い邸宅だったことがうかがわれます。

しかし村には誰もいない。
村に1件しかないかもしれないバッカルで菓子を買って、
男性がたむろする、村で唯一のカフヴェを尻目に、
ナズィッリへ向かいます。
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ナズィッリは人口15万人ほどの、Aydın県の一郡ですが、
トルコ一長寿の郡なんです。
その秘訣は新鮮な農産物でしょうか。

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11時ごろになると市場は大盛況です。
人口15万人だからちょっとした都会ですから、
それなりのにぎわいを見せています。

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女性たちが付近の村から様々な農産物を持って来ています。

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乾燥とうがらし、乾燥ナス(これを煮るとダシが出ます!)
ドルマ用のもあります。
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名産物のオリーブ
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干しイチジク。オスマン時代からの特産物です。
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こう言った農産物をイズミル港へ運ぶため、
オスマン朝末期に鉄道が敷設されたのです。
これらはオスマン朝にとって重要な輸出品でした。

こちらはこの市場の名物?のクルミ入りのお菓子。
cevizli sucukです。
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cevizli sucuk と言えば、ひもに通したクルミを
果物を煮詰めたシロップ、ペクメズ入りの葛湯に浸し、
乾かしてはまた浸し、ということを繰り返して
作りますが、ここのはペクメズが入っていないので、
白い色をしています。
これを売って3人の子供を育てたというおじさんです。
(年下だったりして)

エーゲ海地方の菓子パン、Boyoz。
隣の甘食みたいのはケーキで、
トルコにしては甘くなくて軽い!
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主に乾燥ものの農産物をしこたま仕入れた後、
昼食を取ります。

sucuk売りの叔父さんオススメの市場の入口にあるロカンタ。
Seyirdir lokantası.
昔ながらの風情ですね。
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ナズィッリはピデが美味しいときいて、
さっそく注文。
しかし大きくて食べ切れません。。。
テイクアウトです。
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さて、この日のメインイベント、アフロディシアスへむかいます。
karacasu村方向へ曲がって約30分ほど走ります。
カラジャス村は陶器作りが盛んなようです。
路線バスで行っていたら、ここからさらに乗り換えねばならなかった。
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遺跡入口に来ましたが、
駐車場からこんなトラクター車が入口まで連れてってくれました!
afrodisias2

müze kartıでフリー通過して、遺跡内へ。
長年来たいと思っていた遺跡へいよいよ入ります。

紀元前 2世紀から都市文明があったというこのアフロディシアスは、
エーゲ地方の他の古代都市と同様、
紀元後2世紀のパックス・ロマーナの時代に栄えました。
ローマ帝国の各地に彫刻を輸出していたので、
数多くの彫刻家が集まるアトリエがあったそうです。

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こちらはsebastion.
キリスト教が受け入れられる前は、
皇帝を神格化していたので、
こちらはその神殿だったということです。

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フリーズが積み重ねられてズラリと並んでいます。
すごい数ですね!
なにしろよく残ってます。

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大劇場。
2世紀以前のものですから、斜面を利用してつくられています。
それ以降のものは、平地にいきなり建てる技術が発達し、
アンタルヤのアスペンドスの劇場のようなものができてきます。

テルマエ・ロマエですね~
大浴場です。
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afro2
こちらがアフロディスィアスを一躍有名にした、
252 m x 50 mの大競技場です。3万人も収容できたとか!
本当によく保存されていますね。

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こちらも古代神殿跡。
アフロディスィアスというと、
美の女神アフロディーテを思い浮かべますが、
ここではアフロディーテ信仰以前の、土着の豊饒の女神、
キベレがまつられていたようです。

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こちらは併設の博物館にあるキベレ像の東部。

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儀式のときにつかっていたという立派な門です。

この門の近くに、
1959年からアフロディスィアス遺跡発掘を生涯に渡って手がけていた、
ケナン・エリム教授のお墓があります。
afrodisias9

初めてここを訪れたとき、
生涯をかける価値がある場所に巡り合ったと感じたそうです。
教授は1990年に亡くなるまで、
この遺跡の発掘に尽力しました。

広大な敷地をくまなく回って、
わたしも子供たちも大満足。
堪能しまくりました。
古代都市というと、Efesが有名ですが、
こちらも一見の価値ありです。
私たちはナズィッリと合わせたんで自力で行けませんでしたが、
一日にアフロディスィアスしか行かないなら、ミニバスでも十分行かれると思います。

時間がある旅行者には、行かれることをオススメします。


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冬休み旅行1パムッカレ
冬休みにパムッカレに行きました。
pamukkale12


パムッカレというか、その周辺旅行です。

私が考えたコースは、
1日目:パムッカレの石灰棚、ヒエラポリス
2日目:ナズィッリ木曜市、アルパズ村、アフロディスィアス
3日目:ブルダン、カラハユット
4日目:ラオディケア、デニズリ
です。

溜まったマイルでデニズリへのフライトチケットをGET.

デニズリの空港からは乗換えさせられますが、
パムッカレまでBay-Turという会社のシャトルバスがあります。
けど、もう人家族参加したし、
次の日のスケジュールも押せ押せなので、
このBay-Tur社で空港出迎えと
次の日ミニバスをチャーターしました。

Booking.comできれいそうな
White Heavenというちょっと赤面してしまうかな、
という名前のホテルを予約。

pamukkale a
 
日本人の方が経営しているところがあるとかききましたが、
どれだかわからないし、
3週間前ですでに満室になっているところがちらほらあったので、
とりあえずここ。

お部屋きれいでしたよ。

でも湯沸かし器なし。

3泊でこのお部屋390TLだったからしょうがないか。

とりあえず石灰棚へ。

わたしは20年前と10年前に行ったことありますけど、
子供たちは初めて。

20年前の石灰棚は、
それはそれはキレイに棚になっていました。
10年前、それは雪崩みたいな感じに変化してましたけど、
初めて行く人は感動してました。
今回どうなっているかな。

ホテルから行くと南側の入り口が近い。
ミュージアム・カードを持っているのでフリーです。
ここの窓口でも買えます。
同じ博物館に2回までしか入れないのが40TL,
何回でも入れるのが50TL.
でもこれはトルコ人と、滞在許可証を持っている外国人だけかも。
まったくの観光客は、もっと高い様子。
子供たちはトルコの学生なので無料。

さて、ここで裸足にならなければいけない模様。
幸い雪も雨も降っていなかったけど、
真冬ですよ。
流れてくる温泉水はすっかり冷えて水になっている。

pamukkale2

でもしかたありません。

濡れた石灰の地面は冷え冷え~

サンダルもだめみたいだから、
靴下のまま入って、
あとで持参した代え靴下に履き替えるのが利口かも。

でもそんなこと知らないからしょうがなく裸足です。

下の娘は転んでズボンがビショビショ。

上の方へ上がっていくと水が多少生ぬるくなってきます。

上方には多少棚らしきものが。

pamukkale4

頂上まで行くと、温泉の水源があります。
そこは湯であったかい。

pamukkale5

韓国人ばっかりいました。
日本人は皆無。
というか西洋人もほとんどいなくて韓国人だけ。

もっと先にも石灰棚があったはずですが、
冬のせいか水が流れていなくてカラカラ。
ポスターになっているようなくっきりした石灰棚は
やっぱりもう過去のものなんでしょか。
それとも夏の混み合う時期には湯を流すのかな。

それでも初めて見る子供たちは珍しいらしく、
けっこう満足していました。

パムッカレの見どころは石灰棚だけではありません。
世界遺産のヒエラポリスの古代遺跡があります。

紀元前3世紀から紀元後7世紀まで栄えた
ローマ帝国の大都市です。

パムッカレはエーゲ地方のデニズリ県に属しますが、
この県ととなりのアイドゥン県を通る小メンデレス川は、
セルチュク平野をうねりながら流れ、
その流域には数々の古代都市がありました。
エーゲ海に注ぐこの川の下流には、
あのエフェス古代都市があります。
そこから様々な農産物を船に積んでいたのです。

pamukkale13
都市へ入る門が残っています。
ここは温泉地ですから、
「テルマエ・ロマエ」のハドリアヌス帝の時代、
ローマの平和、パックス・ロマーナの2世紀にも
栄えてました。

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150年も建設がダラダラ続いたという劇場。
206年にやっと完成したそうです。
舞台の部分がわりかしよく残っています。

pamukkale c
アポロ神殿跡。

pamukkale15
フロンティヌス大通りの入り口門。

入り口となりには、古代のオリーブオイル絞り機が。
pamukkale14


pamukkale10

遺跡が沈んでいる温泉プールです。
中に入るには別料金で32TLもする。

もちろん入りませんでしたけど。
入ってるのはなんか男ばっかり。

野外博物館内、ここだけにカフェがありましたけど、
冬のせいか、
メニューに書いてあるものほとんどない。
おなかスキスキでしたけど、
他にないからしょうがなくトースト食べました。
ちょっとお高い。

pamukkale b

プールの前にはデニズリ名物の雄鶏が。
なんでも、一回ですごく長く声をだせるとか。

pamukkale6
こちらは博物館です。
もとは大ハマムでした。

pamukkale8

pamukkale7


端から端まで行くと2,3㎞はあると思われるので、
相当歩きましたね。
6歳の下の娘も文句も言わずついてきました。

朝6時半のフライトで来たからヘトヘト。
面倒なのでホテルで夕食をとることにして次の日の
ハードスケジュールに備えます!

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秘境ケマリエの旅
kemaliye29

ケマリエーKemaliyeというこの町の名は、
アタテュルクの「ムスタファ・ケマル」の名をとって、
共和国以降につけられたもので、
もとは、「Eğin-エイン」という名でした。
見渡す限りの岩山の山間に、ユーフラテス川河畔に位置する、
現在は人口2千人ほどの小さなまちです。
農業も牧畜もなく、昔から収入はイスタンブルからの
出稼ぎ収入に頼ってきました。

kemaliye5

町全体に山頂のカルデラ湖からの水が流れ、
独自の形態の民家が残っていることから、
最近は観光が誘致されています。
kemaliye22

ワタシがこの町の存在を知ったのは、
多分もう何年も前の
トルコ航空の機内誌Skylifeからだったと思います。
民家には目がありませんから、
ケマリエの民家の独自のドアノッカーを見て、
いつか行きたいなと思っていました。

それが今回のツアーで実現しました。
こんなところまでツアーが実施されるとはね。
最近は通なツアーが増えたものです。

エラズーの空港から行きましたけど、
空港から程なく、昔の中心地ハルプットへ。
ハルプットの丘の上から現在人口30万人ほどの
エラズーの町が一望できます。
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ケマリエ自体はエルズィンジャン県にありますが、
湖のまちエラズーから行くと、こんなところも
通ります。
マスの養殖場です。
ÇırÇır Şelalesiという人口の滝です。
kemaliye1

kemaliye2
とにかく安い〜
これで9リラです!

スィヴァス県の方に入りますと、アレヴィーの村もあります。
Aleviはイスラム教でも預言者アリを心棒する一派で、
トルコで一般的なスンニ派とは異なる一派です。
普通のモスクでの礼拝はせず、断食月に断食もしません。
Cem eviという集会所で集会をします。
これでイスラム教なのかしら、という感じなんで、
異端とされて弾圧されることもあります。

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アレヴィーの村へ行く道頭にヤギの乳のアイスクリーム屋がありました。
1リラ!

これがアレヴィーの村、Ocak Köyーオジャック・キョイの博物館

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図書館や宿舎もあるんですが、
普段の村の人口は50人くらいしかいないそうですが、
これみんな都会に行った人たちの寄付なんですね。

銅像はアレヴィーの吟遊詩人フドゥル・スルタン・アブダールです。

実はこのツアーの参加者もほとんどアレヴィーでした。

さて、ホテルはユーフラテス川のほとりでした!
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まちに数件しかないホテルのうちのひとつ、
BozkurtホテルとこのYeşilEğin ホテルは同じオーナー。

夜はまちの若者が集う唯一の場所、文化センターで民謡の夕べです。

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バイラムだから何グループか旅行客がきていました。
やっぱりトルコ人は踊りが大好き。。。

次の日は崖っぷちのトンネルいくつもくぐって行きました。
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1957年に架けられた橋が
1970年から近くにできたケバン・ダムに沈んでしまったので、
また橋をかけようという話が持ち上がってから
官僚主義のために何十年もかかってしまい、
1996年にエルズィンジャン県の知事だった
Recep Yazıcıoğluのときにやっと実現したのだそうです。
この話はトルコの有名女流作家、Ayşe kulinの小説にもなっていて、
ドラマにもなりました。

これがその橋です。
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崖っぷちからのユーフラテス川が日に輝いています。
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街道までの近道として地元民の尽力で掘られたこのトンネルですが、
掘り終わる前に別の道を政府がつくってしまったので、
今は観光用になってしまっています。

なんかトルコらしい話です。

さて、泊まっているケマリエです!

ユーフラテス川を臨む山間の小さなこのまちには、
山頂のカルデラ湖から水がドンドン流れてきます。
秋は一番水が少ない時期なのだそうですが、
それでもかなりの勢いで町中の水路に水が流れています。
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こちらケマリエ・スタイルの民家です。
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農業も牧畜もできない岩山に囲まれたケマリエの人々は、
イスタンブルなどの都会に出稼ぎに行くしかありませんでした。
一家で行ってしまう家族も多く、長い間家を空けるので、
雪深いこの地の湿気を防ぐため、
トタンを貼り付けるようになったそうです。
最初は戸口や屋根だけだったのが、
次第にエスカレートしていき、
壁全体を覆うように!

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トタン村になっています〜

最近は観光に力をいれてますから、
綺麗にしている家もあります。

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家の下を水が流れています。

上下に分かれた雨戸が珍しい。
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こちらはケマリエ民家の象徴(にしようとしている)
装飾的なドアノッカーです。
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まちの鍛冶屋さんでは、お土産用のものが売られています。
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こちらはキリスト教教会だったもので、今は歴史博物館になっています。
オスマン朝時代、このまちの人口の半分はアルメニア人だったそうですが、
1915年の強制移住でほとんどいなくなったそうです。
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まちの高台に行く道には、
昔出稼ぎに出て行ったっきり帰ってこない夫を思って
書いた四行詩の手紙がパネルになって並んでいます。

「死んでも顔を覆わないで
恋しくて死ぬに死ねない
お墓に窓を開けておいて
あの人が帰ったら見れるように」

なんていじらしいのもあれば、

夫が向こうでよろしくやっていることを知って、

「 あの世にはイスタンブルはないよ、逃げ場の
嘘が本当の帳簿を開いてしまうよ
三途の川を渡る時足を滑らせて
頭を打って地獄に堕ちろ」

なんて、おどろおどろしいのもあります。。。

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高台にはトルコ国旗が。
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隣村まで山歩きもしました。

こんな崖っぷちに集落が!
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変わった山草見つけて登ったはいいけど、
降りるのがタイヘン。
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それを撮るツアーの人々。
その人々を撮るワタシ。

元町役場職員の運転手兼ガイドの詳しい説明と、
楽しいツアー参加者で旅行堪能しました!
なにより今回子どもを置いて友人とこれたのが
レフレッシュ〜
でした。

しかし今回のブログ、書くのに何時間もかかってしまった。
写真多くて。

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