トルコ語翻訳家のイスタンブル暮らし
トルコ・イスタンブール生活22年目、反抗期真っ盛り上の娘、生まれてからずっと反抗期の下の娘をかかえる働く母の日々の出来事や感じたことを綴ります。
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トルコ生活22年目の二人子持ちの翻訳家・通訳の日常生活と旅行の記録です。トルコ民家研究がライフワークです。



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最近のアルメニア人の状況
最近たてつづけにイスタンブルのアルメニア系住民が
攻撃されるという事件が起こりました。

それもみんな80歳以上のお年寄りばかり。
場所はマルマラ海沿岸の旧市街サマトヤSamatyaという、
かつてはアルメニア人が
多く住む地区でしたが、今は裕福なアルメニア人はシシリや
バクルキョイ、アジア側にいるか、外国に行ってしまっているので、
この地区の残っているのは比較的低所得者の人たちです。

大きい社会保障病院SSK Hastanesiがあることで知られる下町です。

surp kevork
これがサマトヤにあるアルメニア教会Surp Kevork 教会です。
周辺は下町情緒あふれる一角で、10数年前に「第2の春iKİNCİ BAHAR」という
大ヒットドラマの舞台にもなりました。Develiという有名ケバブ店もあります。

こんな平和そうな地区の一角で12月に起こった暴行事件では、
被害者が亡くなっています。
家に無理やり入ってきて殴る蹴るなどの暴行を受けた結果、
出血多量で亡くなりました。

1月にはアルメニア人のクリスマスがあり、教会に向かう途中の
アルメニア人のお年寄りが誘拐されかかりました。

つい最近はやはり家に押し込まれ、暴行を受けた結果、
被害者は片目を失明してしまいました。
翌日また暴行未遂事件が起こっています。

これら一連の事件が民族的な感情で行われているのか、
組織的なものなのかはわかっていません。

これらの事件に先立って、
2007年にトルコのアルメニア系住民向けの新聞を
アルメニア語とトルコ語で発行している「AGOS」新聞の編集長、
フラント・ディンク氏(Hrant Dink)が熱狂的な民族主義者の
少年に射殺されるという事件が起きています。

dink
新聞社の事務所がうちの近くで、葬列の人々はこの紙を胸元につけていました。

犯人の少年は当時17歳。トラブゾンにある民族主義の組織が
裏で糸を引いていたらしく、数人が逮捕されましたが、
本当の黒幕は未だにわかっていません。
トラブゾンには極端な民族主義者が多くいる場所らしいです。

お年寄りばかりを狙った卑劣な暴行に、市民も黙っていませんでした。

ermeni saldiri ntv
またNTVのニュース画面です。

こういう抗議デモにBDPというクルド系親PKKの政党の議員たちが加わるんですね。
そうすると、純粋に抗議しようとするトルコ人の気持ちもしぼんでしまいます。

第一次世界大戦時の
アルメニア人虐殺問題もまだくすぶっていますし、
ロシア側に協力したアルメニア人をいまだに恨んでいる
層がいます。アルメニア人は何かあったら信用できないと思っている
トルコ人がいることも確かです。

どう思おうと個人の勝手ですが、
こんな風に殺してしまうのはどうでしょうか。

サマトヤがあるファーティフ区の区長も調査に乗り出してきました。
早く犯人が見つかるよう、警察にがんばってもらいたいです。

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最近のイスタンブルの国立病院
近くのクリニックのキャンペーンで人間ドックやりました。

結果は非常によかったのですが、
持病の橋本病に関係する甲状腺刺激ホルモンの量が低下しているのと、
心拍が弱いといわれました。なんとなく息切れがするような気もします。

年に1回行っていた甲状腺の専門医の診療所は診察料が
450TL(2万円以上)になってしまったのでもう行けません。

会社をやめて社会保障保険(SSK)なくなりましたが3ヶ月間有効です。
それに個人健康保険年金(Bağ Kur)に切り替えましたので、
国立病院は無料です。

そこで近くの国立病院、シシリ・エトファル(Şişli Etfal Hastanesi)
病院に行くことにしました。

1899年に開業したこの病院は、当時のスルタン、アブドゥルハミットの娘が
まだ赤ちゃんのときにジフテリアで亡くなったのをきっかけに、
はじめ小児科病院として建てられました。

etfal5
これが竣工当時の様子です。建築はタキスィム広場の戦勝記念像などの
デザインを手がけた、イタリア人建築家のレイモンド・ダロンコ
ということになっています。

1000床を超えるマンモス総合病院なので激混んでいるという
印象がありますから、
いつもはややすいているタキスィムの救急病院に行きます。
でも内分泌科はそこにはないのです。
ついでに心臓も診てもらいます。

etfal3
正面玄関からみたエトファル病院。すごい大きいですね!
携帯のカメラなのであまりよくなくてすみません。

国立病院に行くともなれば、一昔前は朝の礼拝を済ませた
5時とかから整理券をもらいに病院に行かないと、
その日のうちに見てもらえないという有様でした。

ところが今はインターネットで予約ができるんですね!
トルコ人は国民番号、外人は外国人登録番号でとります。

1週後でしたがとれました!朝の時間帯にとるのがポイントです~

etfal8
9時12分という小刻みな予約時間ですが、9時代では廊下はこんな感じです。
以前にくらべるとガラすきといってもいいくらいです。
手前のおじさんは昨日から徹夜、といった感じの疲れ方ですが、
病人本人なのかもしれません。
とにかく大病院は増築のせいか作りが複雑で、以前は手続きも複雑でした。
昔は病院の勝手に通じたもぐりの案内師がいて、
料金とひきかえに並んだり、書類をそろえたりしていたくらいです。

無事診察もすんで、心電図もとり、
(次々人が入れ替えられるので、服を脱ぎもしません。
足首を出して上をまくるだけ)
一応心臓のエコーもとりましょうと言われて、
入院病棟にあるICUに行けと言われました。
そこに心臓のエコー室があるらしいです。
エコーの予約は一番早くて3月始めでした。。。

さて~、心臓の医者に心電図を見せに診察室に帰ると、
昔のような状態になっていました。。。
etfal2

やっぱり朝一番で来てよかった、と思います。

心電図は相変わらず前にとったのと同じでした。
甲状腺のほうは、とりあえず今毎日100mg飲んでいる甲状腺ホルモンを75に減らして
3ヵ月後にもう一度血液検査することになりました。

診察も心電図もエコーも保険ですべて無料ですから、
多少の苦労に文句は言えません。
それに本当にいい先生は国立病院にいます。
外来では待っていないで、外来の担当をしている医者が
「これはOO先生に診せるに値する大病だ」
というお眼鏡にかなった患者が上の階の先生に
お目通りすることがかなうのです。

さて~ちょっと建築散歩です。
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これは病院の庭にある時計塔と礼拝所です。
前述のダロンコの作品ですが、モスクのムカルナス
(幾何学状の掘り込み)のような装飾があって、
オリエンタリズムが入っています。

etfal7
それだけではなくて、20世紀初頭からのトルコ人によりトルコ建築の流れ
「国民建築」の要素も取り入れ、静謐で重量感があるどっしりした構えです。

病院から伸びる通りはEtfal Sokak・エトファル通りといいます。
ここにもかつては優雅だったのだな~と思わせるアパートが。
etfal9
etfal4
今は完全にメンテ不足で薄汚れてしまっています。残念。

ところで私が病院に行った日に、
以前「トルコ保守層の変化」の記事で紹介した
ジャーナリストのメフメット・アリ・ビラント
Mehmet Ali Birantさんが亡くなってしまいました。
すい臓にステントを取り付ける手術中に心臓停止してしまい、
そのまま帰らぬ人になってしまいました。
まだ71歳、
もっとあの番組「32日目.32ci gün」を見たかったのに非常に残念です。

birant
トルコの筑紫哲也と書きましたが、それよりもっとすごい。
大統領もかけつける大きな葬式でした。
テレビも一日中彼のことばかり。ご冥福をお祈りします。


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イスタンブル建築散歩ーオスマンル銀行ミュージアムー
カラキョイに通称銀行大通りーBankalar Caddesiーというのがあります。ビザンス時代にはジェノヴァ人の地区でしたが、後にユダヤ人が多く住む地区になりました。
本当はスラブ語で地主とか首領みたいな意味を持つヴォイヴォダ大通りーVoyvoda Caddesi-というのですが、もっぱらこの名前で通っています。

かつてはイスタンブル金融の、しいてはトルコ金融の中心地でした。

こんな風に重厚な石造の西洋風建築が並んでいます。トルコのウォールストリートといった趣です。
19世紀に西洋列強が次々と金融関係の建物を建てました。いろいろな様式が混ざっています。

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これがオスマンル銀行ですが、現在はガランティ銀行と中央銀行イスタンブル支店が入っています。
入り口がふたつあって、シンメトリーなツインになった建物です。
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下の部分は切り出しの石材を荒く加工したルスティカという、ルネッサンス時代のイタリアで流行した様式です。

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上部はコリント様式の半円柱にバロック風の破風がありますが、全体的にはネオ・ルネッサンス様式でしょうか。国旗が掲げられてるのは、中央銀行の方です。

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こちらが銀行の入り口です。何重にもなった木の扉でいかつい感じです。

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入り口はさらに奥まっています。格式の高い格天井が印象的です。

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これはガラタ橋を渡った金角湾の対岸、エミノニュの方から見たところです。ガラタ橋の左下の白い大きな建物がオスマンル銀行です。表側とはうってかわってシンプルなつくりですが、三つ並んだ丸い窓が印象的です。

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こちらはミュージアムの部分です。オスマン朝時代に使われていた金庫の扉。

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当時銀行で働いていたモダン・ガールたちです。非ムスリムがほとんどでした。

 クリミア戦争で借金をしたので深刻な財政難に陥ったオスマン朝政府にイギリス人たちがこのオスマンル銀行をイギリスの民間銀行として設立しました。スルタン・アブドゥルアズィズ時代の1863年、インフレにあえぐオスマン政府は、フランスなど他の国の資本を加えて帝国の国立銀行としました。ということで、帝国の財布のヒモまで西洋列強が握ってしまったのです。

 さらには露土戦争で賠償金を払わねばならなくなり、政府は借金返済を凍結して破産を宣言します。

 西洋諸国はオスマン政府に借金を返済させるために、帝国のタバコや塩、アルコールなどからの利益を回収するオスマン債務管理局をつくりました。この建物は現在イスタンブル男子校になっていて魅力的な建物です)そしてオスマン銀行はオーストリアやドイツ銀行とタバコの管理会社を設立しします。

 そうして1891年にタバコ管理会社はオスマン銀行の新社屋とツインで建てられました。建築家はお雇い外国人のアレクサンドル・ヴァロリーである。イスタンブル考古学博物館やペラ・パラスの建築家として知られる、フランス系オスマン朝臣民でした。パリで建築を学んできていたので、世紀末に政府に非常に重宝がられました。

 オスマンル銀行は1931年に共和国中央銀行が設立されるまで国の公的機能を果たし、以降は民間の銀行として存続しましたが、2001年にガランティ銀行に吸収合併され、145年の歴史に終止符を打ちました。

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今はガランティ銀行のカラキョイ支店として営業を続けています。

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上の階から。こんな仕事場で働いてみたいですね。


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中央が吹き抜けになっています。
すっきりとした「抜け感」は、考古学博物館とも共通するヴァロリーの特徴です。
整然とした様式美です。

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最上階の窓からは、スレイマニエが見えます。

カラキョイ地区には実は見所がたくさんです。丸一日あっても足りません。


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あの声だ、トルコ!O ses Türkiye!
毎週月曜の夜にStarTVで「あの声だ、トルコ!O ses Türkiye!」という歌番組をやっています。

昨年もやっていましたので、これで2期目です。

優勝すると車がもらえますが、出場者はやはりプロデビューを念頭に置いている人たちです。

各地方での前予選の後、テレビでも放送される予選に出場します。

4人の審査員がいて後ろを向いています。歌が始まって気に入ればボタンを押して座っている椅子を前に回します。ひとりでも審査員が前に回れば、出場者はその審査員のグループに入って次の段階に進むことができます。数人が前を向いた場合は、どの審査員につくかは出場者が決めます。

審査員は以下の4人です。

ムラット・ボズ:若い女の子たちが失神するトルコのポップスター。コンセルヴァトゥワール卒でしっかりした音楽の基礎があります。昨年の優勝者は彼のグループから出ました。

ヒュルヤ・アヴシャル:80年代から今まで芸能界のトップを行く女優。テニス愛好家としても知られ、自分の名がついたテニスのトーナメントも主催。最近はもっぱらこういう番組の審査員ばかりやっているが、90年代には数々のヒット曲をとばした、れっきとした歌手でもある。トルコ伝統音楽系。

ムスタファ・サンダル:トルコで知らない人はいない90年代の大ヒット曲「Araba・車」の持ち主。数々のヒットを飛ばし、当時は一世を風靡した。現在はプロデューサー業が主。たまにCMに出るが、エンターティナーとしても有能な芸人。いつも的を得た評論をします。

ハーディセ:ベルギー生まれのトルコのポップ歌手。歌がうまいとベルギーで評判になってトルコへ。数年前のEUROVISIONに出場し3位に。英語の歌やダンスもやるので、主に英語の歌で出場する人を選ぶが、ときどき演歌系なども選んでいます。

4人の審査員がいて後ろを向いています。歌が始まって気に入ればボタンを押して座っている椅子を前に回します。ひとりでも審査員が前に回れば、出場者はその審査員のグループに入って次の段階に進むことができます。数人が前を向いた場合は、どの審査員につくかは出場者が決めます。

次の段階とは同じグループ内ほかの人と対決することです。

しかし予選を勝ち抜いて来た人たちはみんな半端じゃなく歌がうまいのです!
トルコ人が歌と踊りの民族だということを実感させられます。

こちらは英語の歌ですが、すごい熱唱ぶりです。

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ちょっと途中できれてしまっています。なぜか全部アップロードできません~
全部聴きたい人はこちらをどうぞ。
http://www.acunn.com/video/o-ses-turkiye/gamze-sargin-zeynep-topcugurler-duellosu/1188

結局左の黒い衣装の彼女が勝ちましたが、右のふくよかな彼女も捨てがたかった。
本当に聴きがいがありました。彼女たちはハーディセのグループでしたが、ハーディセ本人もびくりするほどうまい。
観客からアンコールがでてもう一回うたってました。

こういう対決を繰り返して、最終的に各審査員のもとには一人づつ残ります。その4人のファイナリストが最終対決をして、優勝者がきまります。歌う歌は審査員が選び、レッスンもしてあげます。

さて、昨年わたしが応援していたのはイブラヒム・シェヴキİrahim Şevki君でした。キプロス出身で男性なのにボーイズソプラノのような声も出て、オクターヴの幅が非常に広い人でした。残念ながら準優勝でしたが、早くプロデビューしてほしいです。

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やっぱり切れてしまうので全部はこちらで:
http://www.acunn.com/video/o-ses-turkiye/ibrahim-sevki-ask/506

これは女性歌手のセルタブ・エレネルSertab・Erenerの名曲、「Aşk」ですが、急にソプラノに移行する部分があって、かなりの歌い手でも、しかも女性でも難しいのに、彼は立派に歌い上げています。しかもセルタブが歌っているのと同じ歌じゃないみたいに聞こえるところがすごい。

さて、うまいといえば以前紹介した子供ののど自慢「君はまるで歌のようbir şarkısın sen」に昔出てた Şebnem Keskinです。当時13歳でしたが今は16歳になって、イズミルから芸術高校に進学するためにイスタンブルにきています。大きく成長して、さらにパワーアップ。このうまさを聞いてください~

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どうも1分までしかアップロードできないみたいなんですよね。
皆さん最後まできいてください、こちらで:
http://www.youtube.com/watch?v=XC0dLT2ITVM
生きていたらホイットニー本人もびっくりするほどうまいんです~

とにかくトルコには歌がうまい人が多くて、テレビの前で思わず手をたたいて拍手してしまう日々です。
「あの声だ、トルコ」毎週楽しみです。


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