トルコ語翻訳家のイスタンブル暮らし
トルコ・イスタンブール生活22年目、反抗期真っ盛り上の娘、生まれてからずっと反抗期の下の娘をかかえる働く母の日々の出来事や感じたことを綴ります。
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トルコ生活22年目の二人子持ちの翻訳家・通訳の日常生活と旅行の記録です。トルコ民家研究がライフワークです。



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バブリーなイスタンブルの億ションは半端じゃなく高い。
この前仕事でイスタンブルの億ションめぐりをしました。

億というのは、リラじゃなくて日本円です。
すごいですね。
ほとんどまだ完成前なのに8割りがた売れているそうです。
トルコはバブルの真っ最中なんでしょうか。

最初に行った
Şehrizar konağı・シェフリザル・コナウという
アジア側第一大橋超えてすぐのaltunizadeにある高級団地が
一番すごかったです。

Şehrizar2
完成するとこんなふうになるようです。
最近流行りの高層マンションではなく、4階だての低層建築というのが
お高い理由でしょうか。
基礎もイカダ基礎というしっかりしたものらしいです。
壁もRC構造の間を埋める穴あきレンガではなく、すべてコンクリート。
市が所有する森に隣接し、一部を長期で借りて庭に取り入れています。
各ゾーンごとに木の種類を変えて、季節ごとの散策が楽しめるように。

こちが一番お安い物件で148m2で1億円ほど。
Şehrizar4
床は大理石で窓は高級加工アルミサッシ。
こちらで主流のpvcサッシの何倍ものお値段です。
キッチンはミエール社のものを入れていで国産はなし。

こちらがモデルルームです。
Şehrizar7
Şehrizar6

さて〜こちらは400m2以上の8部屋もある3億5千万円ほどの家です。
5

こんな値段の家、誰が買うのかなか〜と思ってきいたら、
やはり会社経営してるようなお方たちだとか。
某有名テキスタイル会社のオーナーなど。
いくら高給とりでもサラリーマンじゃ無理です。

今度はヨーロッパ側、高級住宅街ウルスです。
まだ団地を開発する場所が残っていたんですね!

Savoyという億ションです。こちらは1億円くらいの物件が主流です。
毎月の管理費が平均で7万円とか8万円とかするらしいです。
3
はっきりいって外見はそんなに高級っぽくないです。

全室完成していてプールももうできています。
2

モデルルーム。
1
コンテンポラリーアートが飾ってあります。モダンで統一。

でも一億円は高い〜場所のせいですか。

こちらは都心のど真ん中、Zincirlikuyu最後の開発地、exenイスタンブル。
Exen2
超高層ビルの途中階からの眺めはこんな風になる予定。

こんなガラスバリじゃおそろしくておちつけそうにありません。

Exen3
4種類の内装からチョイス。

完成するとこんな高層に。たしか1億以下の物件もありました。
exen1

今はまだ内装もできていません。
しかし全面ガラスで窓があかない。
自動で強制空気循環するそうですが、そんなのやですね。
Exen5
脱構築主義のピーターアイゼンマンが昔「ガラスの家」とかいうのを建てましたけど、あれは確か平屋か1階だてdwした。ここはこんなに高いのに足元もでガラスでコワイ!

最近この手の高層で窓もあかないインテリジェント・ビルディングが流行ってますが、
ほんとにそんなところに住みたいの?トルコ人よ、我に帰っておくれという感じ。

わたしは窓が開いて、お向かいさんと今日はしちゃう、
1分で外に出れてバッカルに行ける今の家でいいです〜


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「akil insanlar ・賢者たち」で積年のテロ問題解決なるか?
ずっとこのことを書きたいとおもっていたのですが、
なにしろここのところひどく忙しく、
ブログの更新もままならない毎日。

2月末でしたか、
35年間もテロ行為を続けてきた、
トルコのETAみたいな武装集団の
PKK(クルド労働者党)のシンパであるBDP(平和民主党)が、
逮捕され、マルマラ海イムラル島で監禁されている
pkkのリーダー、オジャランと会見。
これで政権党のAKPは本格的に積年の悩みの
「解決過程」にのりだしたわけです。

Ahmet türk
この人はbdpのアフメット・トゥルクなんですが、姓がtürkなんですよね、クルド人なのに。バルカンからの移民にはこういうトゥルクがついた名前の人が多いんですが、きっと移住してきてすぐ姓名法ができて、名乗る時に新天地トルコに根ざす決心からつけたんでしょうね。クルド人にもこれ系の名前けっこういるようです。


これには「テロ犠牲者の血を売っている!」と、野党が黙っていませんでしたが、
この会見の結果、オジャランは、
今尚ゲリラ戦のみならず都市部でも無差別テロを
続けているpkkに「武装解除」を呼びかけました。
pkk残党のリーダーカラユラン(祖国解放戦争の時に
ガズィアンテップで大活躍した人と
同じ名前なんですよね, 皮肉にも)
これを受けて「段階的に武装解除する」
と発表。

思えば長い道のりでした。
私がトルコに来た当初の90年代前半は、
まさしくpkkのテロが激しい時代でした。
毎日のように村が攻撃され、
村人たちは故郷を締め出されて都市へ移住を余儀なくされていました。
とても新聞やテレビでは見せられないような、
赤ちゃんの死体や、ひどい拷問の末に殺された人の写真を
見たことがあります。
彼らもクルド人なんですよ。
資金提供をしなかったりするとこういう目にあっていたんです。
逆にpkkに協力していると、軍に目をつけられて、
しょちゅうしょっ引かれたり。
村の学校の先生も寮を襲われて殺されました。
pkkにはいる人のほとんどは小卒か、文盲ですから、
教育を受けてもらいたくないわけです。
都市部では自爆テロが多発、
山岳部ではゲリラ戦で多くの兵士が戦死しました。
これまでにpkkが原因でなくなった方は
3万人にも上ります。

これでは政府当局も彼らを弾圧せざるを得なかったのですが、
それをヨーロッパ諸国は「クルド人弾圧」と、トルコ政府を
批判しました。丁度EUに入るだなんだともめていたときでしたので、
あちらにとっては入れてやらないいい材料でしたよね。
しかしあまりのひどさに後で彼らもテロリスト認定をしました。

あまりにもテロがひどいので、政府のほうもクルド人とみると
「pkkかどうか」をきびしくチェックするようになりまして、
出身地が南東部だとネズミ捕りのときに尋問されたりしてました。
普通のクルド人にとっても住みにくい世の中になってしまったわけですね。
私のpkkでないクルド人一般市民の友人は、
ニュージーランドに移民してしまいました。
今はほんとによくなりました。

さて〜
野党のchpは、
「何と引き換えに武装解除を承諾させたのか」
と与党攻撃に余念がありません。
クルド人自治区を認めたり、はたまた
クルディスタンの国を作ること、
オジャランの釈放などをひきかえにしたのではないかと
批判しています。これで本当に解決したら
手柄は全部AKPのものになって、後悔しますよ。

引き換え条件があったのかどうかまだわかりません。

もしかしたらpkkももう疲れたのかも。
政府が歩み寄っているうちに降参しておくか。

ところで、殺人集団pkkと対話するなんて、
犠牲者の家族が許さん〜という野党でしたが、
akpは「akil insanlar・賢者たち」というネーミングの
民間使節団を結成しました。なんかいけてない名前が
akpらしいですね。
なんと往年の大女優、ヒュルヤ・コチイイト、
歳とりましたが未だに人気の俳優カディル・イナヌル、
地方青年の心を未だに鷲掴みにしている長老歌手
オルハン・ゲンジョバイなどなどの有名人や、
大学教授、ジャーナリストなどからなる
一団です。

彼らの中にはクルド系もいるんでしょう、
ちっとよく知りませんが。

Hülya koçyiğit
これが有名サッカー選手、セリム・ソイダンと結婚して当時一世を風靡したヒュルヤ・コチイイト。彼女が主演した「susuz yaz」「diyet」とか最高でした。

この賢者たちは、犠牲者の家族を訪問して回り、
意見をききました。
すると意外に遺族たちもテロリストとの
対話を認めていて、
もうこれ以上地を流して欲しくないと希望しているんですね。

これが全部本音なのか、それとも仕込まれた芝居なのかは
わかりません。

でも、対話がなければ解決がないことも事実です。

野党は「テロリストとの対話はあり得ない」
と、今回のakpの政策を批判ばかりしていますが、
ではこれまで通り武力同士の対立を続けて
解決すると思っているのでしょうか。
批判するなら何か案を出せですね。

さて〜
これで本当にpkkが終わりになればいいですけど。
ホント、切に願います。


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安倍首相アンカラ訪問にかこつけてプチアンカラ観光
ここのところ激務に追われて
ブログをぜんぜん更新できませんでした。

フラフラのところ、安倍首相訪土です。
私も取材陣の付き添いをすることに。。。

あんまり下の子を放っておくと
あとで荒れて復讐されるのでこわいです。

さて~、朝6時の飛行機でアンカラに行くので
4時半に自宅出発。フラフラです。

アンカラで首相や経団連のビジネスマン、取材陣が
泊まっているのはヒルトンですが、
私は別のもっと安いホテルに泊まらされるので
アンカラの一方通行地獄に陥りながら
ヒルトンにたどり着いて取材陣と合流。

まずは安倍首相が献花することになっている
アタテュルク廟・Anıtkabirへ。

anit1

5月はじめだというのに強い日差しに地面の照り返しがきつい~
当時コンペで選ばれたEmin Onat氏の神殿をイメージした霊廟です。
ここまでにはライオンの像が並ぶ参堂を通ってきます。


anit3
このシンボリックな棺の7m下に
保存されている遺体が安置されています。
天井にはアナトリアの伝統文様モザイクが。

中は最近整備されて、詳しい解放戦争の展示がありました。
残念ながら撮影禁止。

アタ・グッズ売り場ではレアなお土産も買えます。
miyage
アタと国民制、チャナッカレ戦争などの漫画、
アタ・コーヒーカップ
その他熱いお茶を淹れるとアタの写真を浮かび上がるマグカップ、
アタ・ネクタイ、アタ・ネクタイピン
などなど。

それからまちを一望するため、アンカラ城へ。

anit4
これはアンカラ城の城壁入り口すぐ向かいにある、
DIVANレストランですが、
トルコ1の財閥、コチ財閥の一代目が
最初にバッカル(食料雑貨店)を始めた場所です。
今はコチ財閥経営のDIVANレストランになっていました。

ankara kaleici
城壁の中は情緒あふれる木造民家が。
修復されてきれいになっていました。
2階以降の張り出しの下が何段にもなった支柱に
支えられている「bindirme」がアンカラ民家の特徴です。
リーズナブルなおみやげ物やさんが並んでいます。

炎天下、城砦の上まで上るとこんな眺めです。
kale

再び城壁の外へ出て、運転手お勧めのケバブ屋へ。
出口出てすぐ左です。

kebapci
Meydan Piknikというんですが
なぜかアンカラにはPiknikと付く店が多い!
まちなかでも何件も見ました。

これが名物アンカラ・ケバブです~
ankara kebabi
ドネル・ケバブなんですが、どうも羊だけのようで、
それがアンカラ風だとか。
脂っこいけど自然な塩味と肉の香ばしさがよくマッチしています。
ケバブのお供はもちろんアイラン。
最近雪印で日本でも発売されたのに、
取材陣はひとりも知りませんでした。。。

さて~安倍首相とエルドアン首相の会談や、
奥様のアンカラ大学、市街地訪問などがあった3日は
わたしはプレスセンターで待機なので
激ヒマでした。
みなさんは大使館が用意した車で各訪問先へ集団移送。
いちいち帰ってきて、画像を編集の人に渡し、
また出かける、の繰り返しです。
けっこうトルコメディアがきていて、
カメラの場所取りも争奪戦のもよう。

首相がアンカラを去るのが夜9時なので、
ヒマでもしょうがなくその時間まで待機です。

首脳会談では原発の建設の日本への優先権や、
オリンピックに関することが話されました。
注目は先日の猪瀬知事の失言の始末。
安倍首相は「もしトルコに決まったら真っ先にお祝いを」
と、猪瀬氏の尻拭い。でもエルドアン首相は
「あんたもう一回やってるし、原発やるんだから、
オリンピックはうちということで、取りやめたら?」
と追い討ちをかけていました。


さて~やっと首相帰って、夜はKızlayの Karanfil通りに。
本当はもうちょっとアッパーな
ホテルから近いÇankayaの Bestekar通りのバー街に行こうと
していましたが、ご一行は前の日の夜にすでに行かれた模様。
いけてないけど、予算的にもクズライしかないということでの
チョイス。
他にもいけてるところがあるかもしれませんが、アンカラ在住の
友人も大学関係者なので、今日の奥様訪問の激務で撃沈のもよう、
電話に出ないのできけませんでした。

カランフィル通りで一番賑わっている店・Koliba Cafeという
ところでビールを飲んで帰りました。生演奏で盛り上がってました。

さて、4日は帰るだけですが、昼過ぎのフライトなので、
ご一行を(私の趣味で)解放戦争博物館へ。
ご一行はぜんぜん興味ない様子で、
次に行くショッピングセンターのことで頭がいっぱい。

kurtulus muzesi2
地方から小学生の団体がわんさか来ていました。
またもや中は撮影禁止。
アタが最初に議会を開いた記念碑的な建物ですよ。
もとは1915年にときの戦争大臣エンヴェル・パシャが建てさせた
建物でした。とがったアーチ型の窓や支柱のついた深い軒が
典型的な「国民建築」です。
エンヴェル・パシャは第一次世界大戦の
敗戦責任者とされて亡命してしまいました。

ankara palasこのあたりUlus地区は、
解放戦争から共和国成立当時
アタが建築をすすめた地区なので、
当時の「国民建築」の宝庫です。
たとえばこれは20リラ札にものっている
建築家KemaleddinBeyが建てたAnkaraPalas。
玉ねぎ型の屋根は彼の特徴で、イスタンブルの
エミノニュ地区にもありますね。

さて、ご一行はその後Konya道上にあるミグロスの
ショッピングセンターへ。ここは5Mのミグロスがあって
大きかったです~

いつか「アタの軌跡を訪ねて」ツアーしたいです。
アタテュルク農場とか、遺体が最初安置されていた
民俗学博物館、はたまたエスキシェヒルの前線のほうまで
足を伸ばして。

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