トルコ語翻訳家のイスタンブル暮らし
トルコ・イスタンブール生活22年目、反抗期真っ盛り上の娘、生まれてからずっと反抗期の下の娘をかかえる働く母の日々の出来事や感じたことを綴ります。
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トルコ生活22年目の二人子持ちの翻訳家・通訳の日常生活と旅行の記録です。トルコ民家研究がライフワークです。



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秘境ケマリエの旅
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ケマリエーKemaliyeというこの町の名は、
アタテュルクの「ムスタファ・ケマル」の名をとって、
共和国以降につけられたもので、
もとは、「Eğin-エイン」という名でした。
見渡す限りの岩山の山間に、ユーフラテス川河畔に位置する、
現在は人口2千人ほどの小さなまちです。
農業も牧畜もなく、昔から収入はイスタンブルからの
出稼ぎ収入に頼ってきました。

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町全体に山頂のカルデラ湖からの水が流れ、
独自の形態の民家が残っていることから、
最近は観光が誘致されています。
kemaliye22

ワタシがこの町の存在を知ったのは、
多分もう何年も前の
トルコ航空の機内誌Skylifeからだったと思います。
民家には目がありませんから、
ケマリエの民家の独自のドアノッカーを見て、
いつか行きたいなと思っていました。

それが今回のツアーで実現しました。
こんなところまでツアーが実施されるとはね。
最近は通なツアーが増えたものです。

エラズーの空港から行きましたけど、
空港から程なく、昔の中心地ハルプットへ。
ハルプットの丘の上から現在人口30万人ほどの
エラズーの町が一望できます。
kemaliye10

ケマリエ自体はエルズィンジャン県にありますが、
湖のまちエラズーから行くと、こんなところも
通ります。
マスの養殖場です。
ÇırÇır Şelalesiという人口の滝です。
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とにかく安い〜
これで9リラです!

スィヴァス県の方に入りますと、アレヴィーの村もあります。
Aleviはイスラム教でも預言者アリを心棒する一派で、
トルコで一般的なスンニ派とは異なる一派です。
普通のモスクでの礼拝はせず、断食月に断食もしません。
Cem eviという集会所で集会をします。
これでイスラム教なのかしら、という感じなんで、
異端とされて弾圧されることもあります。

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アレヴィーの村へ行く道頭にヤギの乳のアイスクリーム屋がありました。
1リラ!

これがアレヴィーの村、Ocak Köyーオジャック・キョイの博物館

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図書館や宿舎もあるんですが、
普段の村の人口は50人くらいしかいないそうですが、
これみんな都会に行った人たちの寄付なんですね。

銅像はアレヴィーの吟遊詩人フドゥル・スルタン・アブダールです。

実はこのツアーの参加者もほとんどアレヴィーでした。

さて、ホテルはユーフラテス川のほとりでした!
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まちに数件しかないホテルのうちのひとつ、
BozkurtホテルとこのYeşilEğin ホテルは同じオーナー。

夜はまちの若者が集う唯一の場所、文化センターで民謡の夕べです。

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バイラムだから何グループか旅行客がきていました。
やっぱりトルコ人は踊りが大好き。。。

次の日は崖っぷちのトンネルいくつもくぐって行きました。
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1957年に架けられた橋が
1970年から近くにできたケバン・ダムに沈んでしまったので、
また橋をかけようという話が持ち上がってから
官僚主義のために何十年もかかってしまい、
1996年にエルズィンジャン県の知事だった
Recep Yazıcıoğluのときにやっと実現したのだそうです。
この話はトルコの有名女流作家、Ayşe kulinの小説にもなっていて、
ドラマにもなりました。

これがその橋です。
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崖っぷちからのユーフラテス川が日に輝いています。
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街道までの近道として地元民の尽力で掘られたこのトンネルですが、
掘り終わる前に別の道を政府がつくってしまったので、
今は観光用になってしまっています。

なんかトルコらしい話です。

さて、泊まっているケマリエです!

ユーフラテス川を臨む山間の小さなこのまちには、
山頂のカルデラ湖から水がドンドン流れてきます。
秋は一番水が少ない時期なのだそうですが、
それでもかなりの勢いで町中の水路に水が流れています。
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こちらケマリエ・スタイルの民家です。
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農業も牧畜もできない岩山に囲まれたケマリエの人々は、
イスタンブルなどの都会に出稼ぎに行くしかありませんでした。
一家で行ってしまう家族も多く、長い間家を空けるので、
雪深いこの地の湿気を防ぐため、
トタンを貼り付けるようになったそうです。
最初は戸口や屋根だけだったのが、
次第にエスカレートしていき、
壁全体を覆うように!

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トタン村になっています〜

最近は観光に力をいれてますから、
綺麗にしている家もあります。

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家の下を水が流れています。

上下に分かれた雨戸が珍しい。
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こちらはケマリエ民家の象徴(にしようとしている)
装飾的なドアノッカーです。
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まちの鍛冶屋さんでは、お土産用のものが売られています。
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こちらはキリスト教教会だったもので、今は歴史博物館になっています。
オスマン朝時代、このまちの人口の半分はアルメニア人だったそうですが、
1915年の強制移住でほとんどいなくなったそうです。
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まちの高台に行く道には、
昔出稼ぎに出て行ったっきり帰ってこない夫を思って
書いた四行詩の手紙がパネルになって並んでいます。

「死んでも顔を覆わないで
恋しくて死ぬに死ねない
お墓に窓を開けておいて
あの人が帰ったら見れるように」

なんていじらしいのもあれば、

夫が向こうでよろしくやっていることを知って、

「 あの世にはイスタンブルはないよ、逃げ場の
嘘が本当の帳簿を開いてしまうよ
三途の川を渡る時足を滑らせて
頭を打って地獄に堕ちろ」

なんて、おどろおどろしいのもあります。。。

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高台にはトルコ国旗が。
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隣村まで山歩きもしました。

こんな崖っぷちに集落が!
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変わった山草見つけて登ったはいいけど、
降りるのがタイヘン。
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それを撮るツアーの人々。
その人々を撮るワタシ。

元町役場職員の運転手兼ガイドの詳しい説明と、
楽しいツアー参加者で旅行堪能しました!
なにより今回子どもを置いて友人とこれたのが
レフレッシュ〜
でした。

しかし今回のブログ、書くのに何時間もかかってしまった。
写真多くて。

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世界遺産ディヴリーのウルジャーミーと秘境ケマリエの旅1
犠牲祭で世界遺産ディヴリーのウル・ジャミーに行きました。

ディブリ14


二泊三日のトルコ人向けのディヴリー、ケマリエ観光ツアーです。
エラズーまで飛行機で飛んで、
そこからいろいろバスで連れて行ってくれるんで楽。

ディブリーはスィヴァス県の一郡ですが、
シルクロード沿いにあり、交通の要所でした。

そんなまちに建てられたulu camiiは
やっぱり世界遺産だけあってスゴイ!

ディブリ10

三つある門のすべてにびっしりとレリーフが刻まれています。

ディブリ1

13世紀にグルジア人の建築家によって設計されたというこのモスクは、
モスクらしくなくむしろキリスト教教会の雰囲気がただよっています。

内部も十字ボールト天井で、中世の教会のようですね。
柱とボールトの一体感もロマネスク様式のようなかんじです。

ディブリ2

13世紀といえばまだセルジューク朝時代です。
まだイスラームの偶像崇拝禁止が徹底化されていないので、
ところどころに鳥などの偶像モチーフが見られます。

ディブリ4

さて〜、わたしのディブリー訪問のもう一つの目的は民家です。
こちらの地方独自の構造があります。

ツアーのプログラムに民家訪問なかったので、
現地ガイドにゴリ押しして古い民家が多く残る地区を通ってもらいました。

ディブリ11

こちらはAbdüllahPaşa Konağı中庭を臨む最上階の東屋が特徴的です。
短い夏をこちらで謳歌するんですね。
Cihanümaと呼ばれるこの部分は、
ディブリーではYıldız Köşkü、「星の東屋」と呼ばれていたそうです。
まさに星を眺めるのにぴったりの空間ですね!

残念ながら中には入れませんでしたけれど、
見れただけでもしあわせ。

ディブリ⒓

さて、ゴリ押しで通った通りには大きな邸宅がならんでいました。
Baş Odaという主室が外の通りに飛び出ています。
家の中でもっとも装飾的で立派な部屋です。
ディブリーのBaş Odaの飛び出した部分の軒は、
中央がさらに尖った形になっているのが特徴的です。

ディブリ6

ゴリ押ししたけど、ツアーの他の参加者も喜んでバシャバシャ写真を撮っていました。

現地ガイド兼運転手にツアー参加者を誘導してもらい、
民家レストランへ。

ディブリ9

こちらはAyan Ağa Konağı という邸宅で、
修復されてレストランになっています。
こちらは邸宅のほんの一部で、
もとは女性専用のharemlikがあったそうですが、
そちらは残っていません。

ディブリ13
これがもとの邸宅の平面図です。

ディブリ7

上階の部屋はこのようになっています。

天井の「へそ」göbekがきれいですね。
これを見るたびに遊牧民の移動式住宅を思い出します。

それほど木材が豊富な地域ではないのですが、
やはり上階は木造になっているのが、
完全に石造の南東部とはちがいます。

ディブリ8


スープ、サラダ、アイラン、牛肉の炒め物、ピラフ、フルーツの
セットメニューで25TLは安い〜

やはり内陸部ですから、肉料理が多いです。さて、次回は秘境Kemaliyeの紹介です!


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トルコの公立学校は親が疲れます
下の娘が小学校に入学しました!

okul4
上の娘はお値段手頃な私立に行っていましたが、
その学校がDoğa Kolejiというチェーン展開している学校に
買収されてしまい学費が跳ね上がって高いので、
下の娘はやむなく公立に。。。

それでも少しでも良いところにと、
越境入学させるのがオヤゴコロ。
歩いてすぐのところはイマイチなので、
徒歩20分くらいの学校に、夏休み前からアタックしてました。

人気の学校は寄付金も高い〜と、
きいていましたが、
校長は3000Tl要求してきました。
15万円ですよ。

ドヒーン。

私立入れるより格段に安いんですけど、
本来無料ですからね。
越境の足元みるんです。

そこで校長を知っているという知り合いに頼んで
交渉に行ってもらいました。
何とか1000tlに。

でもその小学校の圏内に住んでいる人に住所借りないと、
もっとお金がかかるらしいので、
見つけましたよ、ギリギリ圏内の人を!

あと何十メートルか坂下だったら、
もう違ってたから、ラッキー!

さて、それで何とか新学期を迎えました。

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去年建て替えたばかりだからキレイ。

ピカピカの一年生!
なんですけど、一年生だけ他の学年より一週間早く始まるんですよ。
なんでも学校に慣らすためとか。
うちの子なんかもう四年も保育園行ってたから、
慣れ慣れなんですけどね。
中にはお母さんと離れられないで泣いている子もいる。

入学式もなく、生徒はおもむろに教室へ。
保護者は講堂へ呼ばれて、
「クラス変えろ、担任変えろ、とか言わないように」
とクギをさされました。

とにかくトルコの親はネゴがすごい。
「うちのコを!うちのコを!」
です!!!
日本だとクラスにひとりのモンスターが
ほとんど全員です。

校長はそれにいちいち相手したくないから
最初っからクギですよ。

私も毎日学校にへばりついていられないので、
早速ママ友作りを。。。
制服がどこで売ってるのか教えてくれたママに
すかさず携帯番号をききました。
ところで、制服って学校始まってから買うんですよ、
だって、あんまり早いと制服屋にまだきてなかったりするんです。

okul2
制服飾ってあるんですけどね。
階段に英単語が書いてあるのがほほえましいですね。

とにかく、うちはスクールバスで通わせるから、
バス業者に申し込まねば。
学校の入り口に受け付けが設けられていたので、
早速お申し込みです。これでひとつクリア。

もうひとつクリアしなければならない問題ですが、
給食です。この学校、給食あるってんで選んだんですけど、
申し込みの用紙がいつくるのかな〜
待ってるだけじゃだめなんです。
「あさってから始まるわよ」
と保護者のひとりに言われて、
そうか、申し込んでなくても全員なのかな。
なんて、なんで思ったんでしょうね、
長年このトルコに住んでるワタシが。
申し込んでなくてくれるわけありません。
家に帰ってから、はてな?と考えて
先日電話番号をgetしたママ友に電話しました。
「もちろん、申し込むのよ、給食業者は食堂にいるから」

やっぱりね。それで学校に電話すると、
「給食業者の電話番号わかりません」
ですって。
しょうがないからもう一回学校に行きましたよ。
業者の電話番号もgetして、
他の保護者にも回してあげました。。。

よかった、これで娘が食いっぱぐれないで済む。。。

制服を買いに行ったら、小さいのが売り切れです。
二日後にくるというから、しごとがあったけど、
仕事先から電話攻撃、入荷と同時に上の娘を送り込んで
買わせました。
もう一軒の店よりこちら店の方が安いというのも、
ママ友からの情報です。

そうこうするうちに「クラスママ」というのが
いつにまにか決まっていました。
sınıf annesiというのですが、
保護者のまとめ役でいろいろな連絡事項を
みなに回す役目です。
他の保護者からの連絡事項を先生や学校に伝えたり。

その人がクラスのメーリングリストを作って
メールしてくれるようになりました。

担任の先生もfacebookのページを設けて、
保護者への連絡事項を回してくれます。

「生徒のひとりにシラミが見つかりました」
とかね。
「来週から子どもクラブが始まります」
という連絡が回ってきました。

とにかく、9月は全日制の学校でも2:30に終わってしまうので、
そのあと4時過ぎまでetütという宿題をやる時間を
設けている学校があるんですが、
その名前がçocuk klubüに変わりました。
なんか毎年政府がいろんなこと変えるんですよ、
困ったことに。
etütも廃止にしたんですね、きっと。

これが時間表。1授業は40分で、休み時間は10分と15分、昼は50分あります。
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実は去年知能が高い子と普通の子を混ぜて教育する
パイロット校の幼稚部に抽選で当たったんですけど、
政府がその制度を廃止してしまったので、
その学校は普通の学校になってしまいました。
それでも先生がよかったので小学校も行かせたかったけど、
なにしろ旧市街の方でワタシたちの住んでいるところから
通っている子が少ないため、
スクールバスがetütまでまっていてくれません。
それで止むなく断念。

今度の学校はetütが終わるまで待っていてくれるので
良かった!ちゃんと乗務員もいるし。

他にも外国人のママ友たちが数人いました。
ロシア人多いですけど。
そのうちのマケドニア人のママ友と意気投合。
っつか、そのお婆ちゃんとは知り合ったけど、
お母さんとはfacebookでしかまだ会ってないのに、
なんか気があってしまいました。
おばあちゃん、最初の週は朝から学校が終わるまで
学校で待ってたんですよ。
それで給食申し込みに行った時に知り合いました。

公立もインターナショナルになってきたもんです。
つか、そのほとんどがロシア人のことですけど。

とにかく、なんとか下の娘の小学校生活も軌道に乗ってきたかな。
ホッ〜



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