トルコ語翻訳家のイスタンブル暮らし
トルコ・イスタンブール生活22年目、反抗期真っ盛り上の娘、生まれてからずっと反抗期の下の娘をかかえる働く母の日々の出来事や感じたことを綴ります。
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トルコ生活22年目の二人子持ちの翻訳家・通訳の日常生活と旅行の記録です。トルコ民家研究がライフワークです。



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イスタンブル建築散歩・アタの命日にちなんで~ドルマバフチェ宮殿1
 アタテュルクの命日、11月10日にはアタが息を引き取ったドルマバフチェ宮殿に大勢の人が訪れます。学校単位で訪問したりもするので、当日は入り口から長蛇の列です。

 こちらは宮殿の陸側の門・「スルタンの門・Saltanat Kapisi」ですが、現在は閉じたままです。

 ごらんの通り、バロックやロココ様式っぽい(というか、バロックとロココのはっきりした線引きがわかりませんが)華美な装飾ですが、この宮殿全体は西洋の様々な様式がミックスされた、19世紀中庸当時流行の「折衷様式」で建てられています。

「ドルマ」というのはつめる、埋める、「バフチェ」は庭と言う意味で、海岸を埋め立てた場所に建てられたことから名づけられました。基礎部分には樫の木でできた杭が無数に打ち付けられているそうです。

dolmabahçe kapı


 1956年、クリミア戦争が終結した年に竣工したこの宮殿の建築家は、オスマン帝国臣民であったアルメニア人のバルヤン一族です。

 帝国の都市部に住んでいたアルメニア人やギリシャ人は、いち早くフランスなどに留学して西洋建築を学んできていました。そんなキリスト教徒臣民たちのうちの一族がバルヤンたちだったのです。彼らについてはまた別のときに詳しく説明します。

 とにかくクリミア戦争でイギリスなどの列強に借金をしたのに、スルタン・アブドゥルメジッドはこんな豪華な宮殿を建てたんですよ。


Map copyright PlanetWare.com

 これが宮殿の平面図です。(Planetware.com)大広間を中心として、ボスフォラス海峡沿いにほぼ左右対象の横長プランを持っています。

 実はこれはトルコ人にとって画期的なプランだったのです。

 これ以前にもこのような西洋式の宮殿が建てられていましたが、スルタンの居城と政治を行う公的機関としての宮殿がこのような西洋式の建造物になったのは、1839年に始まったタンズィマート(近代化改革)に端を発します。

topkapı plan

 これはトプカプ宮殿の平面図(Wikipedia)ですが、ご覧のように敷地内に様々な機能を持つ建物が点在しています。このため、いろいろな用を足すには雨でも風でもいちいち外へ出なければなりませんでした。

 こういった形式はトルコ人が遊牧民だった頃の名残と思われます。

ですから、行政機関がトプカプ宮殿から、すべての部屋が一つ屋根のもとに集結する西洋式の建物に移転したのは、国家としては大きな決意だったわけです。

dolmabahçe asker


スルタンの門の前にはいつもビシッと容姿端麗な兵士が建っています。

dolmabahçe bahçeden

 行政が行われていた「セラムルック・Selamlık」の庭からの眺めです。セラムルックというのはもともと男性だけが出入りする場所と言う意味で、普通の民家にもありました。

 池の装飾はちょっとルードヴィッヒの建てた城にあるような感じで装飾過多です。ルードヴィッヒのもののほうが時代は後ですが。


dolmabahçe cephe

 バロック、ロココなどの装飾過多な庭からやってきますと、セラムルックの正面に来ます。こちらはややすっきりでギリシャ神殿風の破風を持つ、ルネッサンス様式のような、新古典主義のようなつくりです。

 ここで内部に入りたいところですが、今日はアタの命日にちなんで書いているので、アタの亡くなった部屋に行きます。

 それはこのセラムルックではなくて、「ハレムリッキ・Haremlik」にあります。

 ハレムリッキというのは皆さんよくご存知の「ハレム」日本で言うところの大奥がある建物です。スルタンも政治以外の私的な生活はこちらで営んでいました。


dolmabahçe ata yatak

この写真は数年前に11月10日に行ったときのものです。アタが亡くなったベッドには花輪が置かれています。国旗は命日以外でもかかっています。

dolmabahçe ata çiçek

ベッドの横には訪問者が置いていった花がこんなに!泣いている人もいるんですよ。観光客はここでまた新たに宮殿の時計はすべてアタが息を引き取った9時5分で止まっているのを確認してうなずきます。

ata cenaze1

私が行ったときにはアタの葬列の写真展をやっていました。他にもたくさんあるのですが、とにかくすごい人です。

ata cenaze2

このように女子学生たちが号泣しています。死後75年経ってもまだ涙を流す人がいるのですから、当時はもっとひどく悲しんだことでしょう。

さて、また長くなってしまいました~建物の内部についてはまた次回でどうぞ~

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