トルコ語翻訳家のイスタンブル暮らし
トルコ・イスタンブール生活22年目、反抗期真っ盛り上の娘、生まれてからずっと反抗期の下の娘をかかえる働く母の日々の出来事や感じたことを綴ります。
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トルコ生活22年目の二人子持ちの翻訳家・通訳の日常生活と旅行の記録です。トルコ民家研究がライフワークです。



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イスタンブル建築散歩・ドルマバフチェ宮殿2、建築家バルヤンと内部

今回は内部の紹介をします。

まず宮殿の建築家、バルヤン一族のことを説明したいと思います。

Krikor Balyan(1764-1831) カイセリ出身のアルメニア人、バリ親方の息子。
18世紀末宮廷建築長に。

Senekerim Balyan(1768-1833)クリコルの弟。

Garabet Amira Balyan(1800-1866)クリコルの息子。
息子のニゴオスと共にドルマバフチェ宮殿を手がけた。

Nigoğos Balyan(1826-1858)ガラベットの息子。 ドルマバフチェ宮殿他、
チュラーン宮殿、ウフラムル・カスル、 オルタキョイ・ジャーミーなど、
今もイスタンブルっ子に親しまれている作品多数。

Sarkis Balyan(1835-1899) ガラベットの息子。
ドルマバフチェ・ジャーミーやゆユルドゥズ公園の中のキョシュク、
トプカプ宮殿内の今はコンヤク・レストランになっている
メジディエ・キョシュクなど、今も彼の作品は数多く残っている。

Hagop Balyan(1838-1875) ガラベットの息子。

Simon Balyan(1846-1894) ガラベットの息子。
マチカのイスタンブル工科大学校舎など。

と、こうしてみていきますと、今現在イスタンブルの観光施設になっていたり、
宮殿庁が博物館にしているところが多いのがわかります。

18世紀末以降、西洋化、しいては近代化の必要性を感じ始めたオスマン朝が、急ピッチで西洋建築を建設するのにバルヤン一族がかなり貢献していたわけです。彼らはセリム3世以降5代のスルタンに仕え、100年近くオスマン朝の
建築界に君臨しました。

18世紀末、西洋化をするにあたってまずは軍事改革が行われました。
そこで従来のオスマン朝にはなかった兵舎が次々に建てられました。
今までなかった機能を持つ建物ですから、西洋のものが手本とされ、
西洋建築に長けた非ムスリムのアルメニア人建築家、
クリコル・バルヤンが重宝がられました。
krikor

こういった非ムスリム、キリスト教徒たちはパリなどに留学しましたが、
バルヤン一族が留学していたかどうかを示す確固とした証拠はありません。
しかしこれだけの西洋建築の手法を使っているからには、
本格的な教育を受けたことがあると思われます。

アジア側ハイダルパシャ駅近くに建つ端正な塔をもつセリミエ兵舎は、
セリム3世の命でクリコルが建てた者です。
クリミア戦争時にはナイチンゲールがここで従軍看護婦として
働いていたこともあります。

軍事施設の次には宗教施設や行政施設も次々と西洋風の建物になっていき、
イスタンブルの新市街側へ都市の中心が移ってきました。

ドルマバフチェ宮殿もこういった流れの中で建てられました。
クリコルの息子、ガラベットとニゴオスの共同作品です。

さて内部ですが、行政が行われていたセラムルックの部分最大の広間が
この「帝位の間・Muayede salonu」です。

muayede salonu

大ドームの天井。ロココ調の凝ったトロンプイユ。
ドームはジャーミーを彷彿とさせますが、
オスマン朝のジャーミーほどは高みがなく、ややつぶれたドームです。
muayede tavan

ドーム下の柱の柱頭部分。変形コリント式のギリシャ風装飾です。
dolmabahçe muayede salonu 2

ドーム中央からは宮殿一の大きさを誇るイギリス製の4.5トンの
シャンデリアが吊るされています。
dolmabahçe muayede salonu3

これはわれながらうまく撮れてます~
dolmabahçe avize

1856年、クリミア戦争の終結した年にこの大広間で
盛大なオープニングパーティーが行われたそうです。
オスマン朝はクリミア戦争でイギリス、フランスからなる
協商国側に入っていましたので戦勝国になりましたが、
この戦争のために借金をして財政は火の車でした。
そんな中でこのように豪華絢爛な宮殿を建てましたので、ますます赤字に。
世紀末には「瀕死の病人」呼ばわりされるほど
国力が弱まる原因にもなりました。

クリスタル階段の手すり。
merdiven2

日本のものと思われるものはひとつもないのに、
なぜか「Japon Salonu日本の間」と言われている部屋。
家具はどう見ても中国っぽい。
dolmabahçe japon salonu

ある部屋の天井。
丸くせりあがっているのは伝統的なトルコ民家にも見られる形態。
テント時代の名残りかも。ロココ長の装飾とマッチしています。
dolmabahçe oda1

こちらはスルタン専用のハマム。
アラバスター石をふんだんにつかった、バロック調の曲線を描く
モチーフでまとめられています。
窓からはボスフォラス海峡がバーンと開けています。
天井もガラスと鉄を使った当時流行のデザイン。
hunkar hamamı1

天井もこんなに凝っています。
普通ハマムの天井はこんな風に自然光が入る穴が開いています。
hunkar hamamı2

これはセラムルックから大奥「ハレムリッキ」へ続く渡り廊下からの眺めです。
美しいフォームのガラス窓から、海側の門とボスフォラス海峡が眺められます。
dolmabahçe camdan


こちらはハレムリッキの広間です。 スタンド式のシャンデリアが美しい。
dolmabahçe haremlik büyük salon

ハレムのハマムです。(早口言葉みたいですね)
こちらはセラムルックのものに比べて質素。壁はタイルですが、
バロック調の装飾は健在。
dolmabahçe haremlik hamamı

天井はこのように幾何学模様になっており、
自然光が入り込むとまるでコンテンポラリーアアートのように
モダンな空間を創り出します。
dolmabahçe haremlik hamamı tavan

最後に時計塔のたもとの海辺にオープンしたカフェで一休みもGOODです。
宮殿に入らなくてもカフェだけ利用でできます。
カフェはふたつあって、ドルマバフチェ・ジャーミーのほうにもありますが、
宮殿のX線検査入口の中のカフェのほうがメニューも豊富で落ち着けます。
dolmabahce cafe


書き出すときりがありません。写真のUPに非常に時間がかかってしまいました。みなさん楽しんでいただけたらうれしいです。
ぜひ宮殿訪問のご参考にしてください。

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コメント
どちらからコンタクトを取ればいいかわからなかったので...
「ひろしまのピカ」のトルコ語版を翻訳なされた、と
自己紹介のところに書かれていましたが、
トルコではどちらで入手可能なのでしょうか。
郵送も可能なのでしょうか。

私はヒロシマで生まれ育ちました。
現在トルコ在住です。

小学校の教室の本棚には「はだしのゲン」がありました。
同世代の他都道府県の人間が、「ヒロシマ」、
そしてそれについての感情が違うことにショックを受けました。 

「ひろしまのピカ」は小学年低学年のころから、
ごく普通に絵本として家にありました。
他県の人には理解できない感情がこの絵本にはあります。
「ヒロシマ人」にとって、特別な絵本を翻訳してくださって、
本当にありがとうございます。
どちらの出身の方か知らないのですが、
この「ヒロシマ人」の微妙な感情も表現されていたら、と思います。
トルコ全土に広げたい絵本です。
でも、トルコではただ単に「アメリカ嫌い」としか思わないのでしょう。
私は、トルコに来てから「え?アメリカを憎むべきなの?」と思いました。
思想操作をされていたとは思うのですが、
この「ヒロシマのピカ」誰を憎め!という内容ではなかったと思います。
[2012/11/28 00:14] URL | chie #O5sb3PEA [ 編集 ]

Re: どちらからコンタクトを取ればいいかわからなかったので...
こんにちは。コメントありがとうございます。
[ヒロシマのピカ]トルコ語版は全国のD&Rで売っていますが、ネット販売でも買えます。
http://www.dr.com.tr/Kitap/Hiroshima-No-Pika/Toshi-Maruki/Edebiyat/Roman/Dunya-Klasik/urunno=0000000409108
または
http://www.kitapgalerisi.com/HIROSHIMA-NO-PIKA_138016.html#0
などです。
この本が出たときある読書グループとディスカッションしましたが、彼らはただ単に「アンチアメリカ」と受け取っているわけではありませんでした。
もっと普遍的な「悪」という風に受け止めていました。トルコはアメリカに何かされたことはないですが、ヨーロッパには散々やられてきましたから、強い国の「驕り」は十分わかっています。
でもこんなことをされて、日本人はなんでアメリカが嫌いじゃないの、とはよく言われます。
それはわたしも自分ではよくわかりません。
ヒロシマの方にはまた違った感情があるのでしょうね。
2年くらい前でしたか、イスタンブル旧総領事館で原爆写真展がありました。
訪問者はまばらでしたが、泣いているトルコ人もいました。
トルコでもある一定以上の層には『考えさせられる本』として受け止められているようです。
初版だけで終わらないように祈ります。
[2012/11/28 09:15] URL | masalgibi #- [ 編集 ]


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